poison__cat’s diary

自分のことを猫だと思い込んでいる人間でありたい人間の戯言

猫は夜行性ではない

お久しぶりです。
これ、毎回言ってるような気がするのは
毎回お久しぶりだからなんですけど


僕が毒吐き猫として、
ここに誰が読むのか分からない
読まれることの無いであろう
戯言を記すのは

『いつか僕が消えてしまった時に
僕がいた証を残しておきたいから』

そんなかっこいいことを言いたいなって…。

僕はずっと思うことがあります。
この後の僕の毒吐きが合わない人は僕のことを
「酷く考えすぎる猫」とでも思っててください
感じ方は人それぞれだと思います。


それでも、読んでくれてありがとう。
そう伝えたいです。
では、本題に…


「生きててえらい」って
生きてることは偉いのか、死んだら偉くないのか、偉人はみんな死んでるじゃないか。
凡人が死んでも偉くないと言われるのか。
そもそも『生きる』『死ぬ』あるいは『死んでいる』とは何なんだろう。

最近、よく見かける「生きててえらい」という常套句
僕は大嫌いです。
何もしないことを肯定するのは、好きじゃない。
具体的に言ってあげるべきだ。

みんな最初は生きてることが前提だ。
でも、生きてることを偉いと言ってしまえば、

『自分は何のために何が出来るのか』
そう考えることをやめてしまうのではないかと、感じてしまう。
当たり前に感謝することは大事だけど、それを偉いと豪語するのは何か違う。


なぜそう思うのか
ずっとずっと考えてきた。
多分、「生きててえらい」という言葉が交わされるよりも前からずっと考えてきた。

僕は他の人からしたら大したことないかもしれない
人に言えない過去ばっかり背負ってるつもり
消したい肩書きも記憶も沢山あるし、
足掻けば足掻くほど沼にハマって
正直もう諦めたい人生…猫生だ(あくまでも僕は猫)


でも、生きることの本質は変わらず


「誰かのために何かをしてあげられる」


これだけは譲れない
見返りなんて要らない時もある、
そう、自己満足


もちろん、誰かのためにの「誰か」が
自分を愛してくれる誰かだったら
きっと幸せになれるし、幸せにしてあげれると思う。

この1年間
誰かのために何かをすることだけ考えてた…


つもりだったけど
ちょっとした邪念で決心が揺らいだ。

ただ、思ったより僕の周りは強い人や
僕なんかより頼りになる人が多かった。

僕の存在意義は無いんだと思い知らされる程に。

「何かをしたい」と望んでも、
「僕」がそれをすることを
望んでくれる人も、許してくれる人もいなかった。

いなくなったと言うべきかな。

だから、そのいなくなってしまった、
愛した人から貰ったものを大事にする。


いつまでも白い百合のように威厳のある人になる。
そう決めたのがこの毒吐き猫の最初の戯言だった。


今も大して変わらない想いを抱いている。
だから、1人で良い。
誰も歩み寄らなくていい。
距離感を大切に。
ただ、海を漂うだけの海月のように。
誰かが流されて1人で困っていたら
ただ一緒に漂ってあげられる存在になりたい。
そうありたい。そう思いたい。

本当は。
もしできることならば
僕にそれを許してくれるのであれば
漂うのではなくて、連れていきたい
「誰か」の目指す場所を「僕」の目指すべき場所にしたい

海の上を漂う僕の生きる理由を誰かに貰いたい
海の上を漂う誰かの生きる理由を僕に任せて欲しい

海の上を照らす月が無いとしても、
必ず月の光が指す場所へとたどり着く。
クラゲ=海月 になりたい
暗い海の夜を照らしていきたい。




話は毎度のように猫の話になるが、
猫は夜行性だと思われがちらしい。

本当は、『薄明薄暮性動物』
簡単に言うと明け方や日没直後が活発らしい

僕は誰かにとっての
光が消えゆく時に暖かく手を差し伸べて
光が見え始める時に元気に手を振りたい

それを繰り返していきたい。
できることならば、
「特別な誰か」の光を導く猫になりたい。
そんなことを夢見ている。

今はただ、暗い海の上を漂い続けている。
見つけたものに手を差し伸べては漂い続けている。

つもり。


それが偽善的と言われようが
優しさの無駄遣いと言われようが

それしか出来ない僕は
今日も嫌いな「人間」という生物に毒を吐く。

毒と言えど、
良薬かもしれないし、致死毒かもしれない。

もしここまで読んでくれた方がいたならば、

ありがとう。
きっと、あなたの夜が明ける頃だと思います。
そんな無責任なことを言ってしまうくらいには
嬉しいのです。本当にありがとう。



今日の戯言は以上です。
毒吐き猫でした。では、また。